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大学が開学すると、異文研もそちらに移ることが決まっていました。古田先生は「大学の研究所になるのだから、図書を充実させましょう」と指示されました。異文化コミュニケーションや国際交流の専門書はもちろん、古田先生の専門である宗教や哲学、そして日本文化に関する蔵書のリストを作成し、書籍の発注準備を始めました。
古田先生は「開かれた研究所」をイメージし、学外の研究者が訪れても存分に学べる環境を整えることを目指されていたのだと思います。古田先生は、「ここは日本で初めての異文化コミュニケーションの研究所です」とよくおっしゃっていました。
私は異文研で働きながら、アメリカから持ち帰ってきた修士論文を執筆していました。テーマは日本とアメリカにおけるパーソナル・コミュニケーションの比較です。日本の文献は、当時、先進的に異文化コミュニケーションの研究をされていた南山大学の岡部朗一先生や大妻女子大学の石井敏先生、そして久米先生の論文を引用させていただきました。
そういった先生方に実際にお会いする機会がありました。異文研では、異文化コミュニケーションの授業で使える学術書の出版の準備を進めていました。教育の領域です。昭和62(1987)年3月に出版された『異文化コミュニケーション 新・国際人への条件』(有斐閣)です。
出版準備の会議は異文研の事務所で行われ、古田先生のもとに、岡部先生、石井先生、久米先生が集まり、内容や章立てについて議論をされていました。日本における異文化コミュニケーション教育のリーダーたちが議論をされている現場で同じ空気を吸えたことは私にとって貴重な体験になりました。
岡部先生、石井先生、久米先生はアメリカでスピーチ・コミュニケーションの勉強をされてこられたので、それを踏まえて、「日本での異文化コミュニケーションはどうあるべきか」を真剣に考えられていました。古田先生は少し立場が違い、神学や哲学を大事にされていました。もちろん意見の違いはありましたが、それぞれが互いの立場を大切にしながら、議論をされていました。
異文研で仕事をしながら、私は神田外語学院で「異文化コミュニケーション」の授業を担当しました。日本で教壇に立った初めての授業です。アメリカで学んできたことを、神田外語学院の学生たちに分かりやすく伝えるにはどうすればよいか。その視点で授業を構成しました。学院の学生は外国に関心があり、外国語を学ぶ意欲にあふれています。理論を交えながら、実践的なことを、事例を挙げて教えていきました。(6/11)