Copyright © 2011 Kanda Gaigo Alumni Association(KGAA). All rights reserved.
日本に帰国した私は、神戸市外国語大学で助教授を務められていた久米先生を訪ねました。異文化コミュニケーションを生かして仕事をしたいと伝えたところ、久米先生は「僕は今すぐ何か紹介できないけど、東京の神田外語学院に古田暁先生(※3)がいらっしゃる。神田外語は異文化コミュニケーションに力を入れていくようだから情報をお持ちでしょう。話を聞いてみてはいかがですか」と助言してくださったのです。
そこで、私は古田先生に会いに、東京の神田へと出かけました。神田外語学院の本館から数ブロック離れた電建ビルの一室に「異文化コミュニケーション研究所」があり、古田先生はその一室で、おひとりで仕事をされていました。古田先生は神学者らしい厳かな印象でした。前職では、“Kodansha Encyclopedia of Japan(『英文日本大百科事典』)”の編集主査を務められたと聞きましたが、膨大な編集の激務をこなす編集者とは思えない、物静かで、神々しい印象がありました。
私がアメリカで異文化コミュニケーションを学び、それを生かして仕事をしたいとお伝えすると、古田先生は「神田外語はこれから異文化コミュニケーションに力を入れます。来年度には大学も開学します。スタッフが必要なので、よかったらここで仕事をしませんか?」とその場でおっしゃってくださったのです。私は実際に何をやるかもよく理解せずに、「私でよかったら手伝わせてください!」と二つ返事でお引き受けしました。昭和61(1986)年5月、私は異文化コミュニケーション研究所(以下、異文研)で研究員として勤め始めました。
異文研は、異文化コミュニケーションの「研究」「教育」「啓蒙」という三本の柱を打ち出していました。佐野隆治理事長(※4)は、「神田外語は異文化コミュニケーションを大事にしたい」とおっしゃっていて、啓蒙活動をスタートしました。古田先生の人脈で講師をお呼びして、月例で「異文化コミュニケーション講演会」を開催し始めていたのです。会場は神田外語学院本館の大講堂。第1回は1985(昭和60)年12月、講演者はドナルド・キーン先生でした。(4/11)