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神田外語学院での異文化コミュニケーションの授業では、今でも忘れられないことがあります。私の異文化の経験はアメリカだけです。他の文化を教えるときは文献に頼っていました。
中近東の文化を教えたときに、「アラビアの人はアイコンタクトをとても大切にしています。しっかりと目を見るように」と学生に話しました。すると次の授業で、ある女子学生が「先生、帰りの電車でアラビア系の男性がいたので、しっかり目を見たら、ずっとついて来られて大変でした」と言うのです。よく調べたら、女性が男性の目を見るのはよくなかったのです。大ごとにはなりませんでしたが、異文化コミュニケーションを教える難しさを体験する機会になりました。
昭和62(1987)年4月、千葉・幕張に神田外語大学が開学しました。当時は周辺に大きな建物がなく、幕張本郷の駅から大学の校舎が見えていたのを覚えています。私も真新しい建物にできた「神田外語大学異文化コミュニケーション研究所」に通い始めました。大学が開学しても、数年間は神田外語学院での講演会は継続して行っていました。
大学に移って、古田先生はニュースレターと紀要を発行する計画を打ち出されました。ニュースレター『異文化コミュニケーション』の創刊は昭和63(1988)年4月。異文化コミュニケーション研究の情報を掲載し、年4回出版しました。特徴的だったのが発送先です。全国の大学はもちろんですが、企業で異文化適応のトレーニングをする部署、民間の研究所にも送付していました。広く啓蒙したいというお考えだったのでしょう(※6)。
論文集である紀要『異文化コミュニケーション研究』の創刊は平成元(1989)年3月です。紀要には古田先生はじめ神田外語大学の先生方だけでなく、他大学の先生方の論文も掲載されました。そのおひとりに上原麻子先生がいます。当時、広島大学の助教授を務められていたのですが、私がミネソタ大学の修士課程にいたときに、博士課程に留学されていました。博士課程では、後に紀要に寄稿された慶應義塾大学の手塚千鶴子先生も学んでおられました。当時のご縁が異文研でふたたびつながったのはうれしかったですね(※7)。(7/11)