神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第12回 山本和男神田外語大学元学監『大学設置という重い扉を開け放つ』

英語教授法の修士号を取得し
私学としての理念を守る

設置準備室長として奔走していた時期、山本和男には佐野隆治からあるミッションが下されていた。テンプル大学が昭和57(1982)年に設置した教育学英語教授法(TESOL: Teaching English to Speakers of Other Languages)の修士号の取得である。

私立大学は建学の理念に基づいた教育を実現する場である。だが、大学では教授会が大きな発言権を持つ。博士号や修士号を持った教員たちと対等に渡り合い、理念をぶらさずに大学経営をしていくためには経営側にいる職員も修士号を持つ必要がある。佐野は山本に白羽の矢を立てたのである。

大学設置という未知の仕事をしながら、大学院で単位を取得するのは困難を究めた。山本は大学が開学すると研究休暇を取得し、集中的に学習をして、修士号を取得した。

修士号を取得した山本は、英語で行われる英米語学科の会議に職員側の代表として出席した。外国人教員のなかには、学科の運営に対して半ば強引に持論を展開する者もいたが、教育学英語教授法の修士号を持つ山本に対しては一目を置いた。そして、山本自身も英語教授法の理論を深く学んだことによって、英米語学科の教員といってもネイティブでなければ、英語のすべてを理解できるわけではない、ということを冷静に理解できるようになった。

開学3年目の平成元(1989)年にはELI が開設された。佐野隆治には大学でも外国語でコミュニケーションができる人財を育てたいという強い想いがあり、学長の小川芳男も想いは同じだった。学生たちが自発的に英語を使うためのELI を設立することが決まった。指揮を執ったのは、「言語とはコミュニケーションである」という信念を持つ英米語学科のフランシス・ジョンソン教授だった。

「大学開学後に待ち受けていたもうひとつの重い扉はELI の設置でしたね」と山本和男が振り返るように、ELI の設立は一筋縄ではいかなかった。

英米語学科が反対したのである。カリキュラムとは関係ない補助機関であるELIが学生の英語力アップに大きく貢献してしまうと、学科での教育そのものの意義が揺らいでしまう、と英米語学科は危惧した。

だが、学長の小川芳男、理事長の佐野隆治という両トップの決意は固く、ELI 開設は断行された。(10/13)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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