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50th Anniversary -Interviews-
大学の設置準備の責任者を務めた山本和男は、「職員たちが大学設置準備に一丸と向かっていたからこそ、大学開学という重い扉が開いた」と振り返る。
設置準備室では、佐野学園の職員である山本和男、北原賢三、久保谷富美男という年代と得意分野の違う3人がトリオとして仕事をした。彼らは周囲からは「YKK」と呼ばれた。YKKは実にバランスのとれたトリオであった。
例えば就任が予定されていた教員たちとの交渉だ。学長の小川芳男や一般教育の古田暁らの人脈によって個性的な研究者たちが開学から神田外語大学で教えることに同意してくれた。だが、実際の条件交渉を行うのは佐野学園の職員である。まず山本和男が候補者を一人ひとりを尋ね、新しい大学の理想を熱く語った。相手から前向きな答えを引き出したら、北原賢三が出かけていく。給与などの条件面での交渉だ。相手の機嫌を損ねずに、大学にとってよい条件で折り合いをつけるのが北原の仕事だ。
設置申請書類を作成もチーム内で分担した。設置の目的や理念については山本が担当し、前述したような力強い文章で新大学の理念を綴った。神田外語大学の社会的な必要性を裏付けるデータ作成は北原の担当だった。
「国連職員における日本人の割合」「国際観光や国際会議の推移」、そして「関東圏の大学における外国語学部の募集人数と合格者数」など、北原は持ち前の調査分析能力を生かしながら、神田外語大学の設置が社会的にどれほど求められているかを数字によって語っていった。
集まってくる情報や文章、データを書類としてまとめていくのは久保谷富美男の役割だった。途中で降板した前任者のピンチヒッターとして設置準備室に参加した30歳の久保谷は着任すると、「自分のやり方でやらせてほしい」と言い切った。すでに書類の提出期限は迫っており、上司たちに逐一確認をとっていたら間に合わないと判断したのである。
久保谷は文部省の厳しい態度にも屈しなかった。文部省に出かけていき、面談のアポイントをとって申請書類の相談をする。だが、一字一句でも誤植があると、「事務能力なし!」として面談を打ち切られる。久保谷は、電動消しゴムをポケットに忍ばせておき、誤植を指摘されるとすぐさま消して修正した。さすがの文部省の役人も飽きれるほどの行動力である。
神田外語大学の設置準備は、YKKという個性の違うトリオがうまく噛み合ったことでハードルの高い実務面をクリアできたのである。(11/13)