異文化理解の先駆者たち

第1回 古田暁神田外語大学名誉教授『異文化コミュニケーションの夜明け』

20年にも及ぶ研究が神学者・古田暁を生み、
日本に中世神学の名著の翻訳をもたらした。

昭和20(1945)年8月15日、戦争が終わった。17歳となった古田暁は慶応義塾大学経済学科の予科へ進学するが、1年も経たずして兄とともにアメリカに渡った。ふたりは、ロサンゼルスの西にあるカトリック系のロヨラ大学で台所の手伝いの職を得た。そこで、暁はカトリックの司祭に勉強をする価値のある人間として見いだされたという。父の務める日本力行会(にほんりっこうかい)はプロテスタントだったが、暁は自らの信教をカトリックに定めた。

アメリカ中西部のミネソタ州にあるセント・ジョンズ修道院で聖職者としての生活が始まった。この修道院は、その起源を6世紀に遡るカトリック教会で最も古いベネディクト修道会に属していた。暁は修道院での生活を続けながら、ひたすら学んでいった。附属する大学では哲学と西洋古典学を専攻した。昭和29(1954)年に哲学の学士号を取得した後、ベネディクト修道会の中心的存在であるイタリアのサンタンセルモ大学へ留学し、神学とラテン語を学んだ。アメリカに帰ってきた暁はさらに神学に関する研究を進めていく。首都・ワシントンにあるアメリカ・カトリック大学で神学の修士号、そして昭和39(1964)年には同大学で博士号を取得するのだ。博士論文のテーマは、11世紀のイギリスのスコラ哲学者、アンセルムスだった。以後、暁は40年以上にわたりアンセルムスの研究を続けることになる。

カトリックの聖職者としての研鑽を積み、また研究者としても博士となった暁は、昭和39(1964)年4月から、北海道の室蘭にある聖ベネディクト修道院で神学や聖書学を教える。18年ぶりの日本での生活だった。昭和41(1966)年の9月からはイタリアのローマ市教皇庁、いわゆるバチカンの典礼研究所に留学。キリスト教の儀式である典礼や修道院の歴史について研究した。

バチカンに辿り着いた暁は38歳となった。終戦直後に日本を離れ、カトリックの研究と祈りに身を投じてからすでに20年の月日が流れていた。その歳月で得た中世神学とラテン語の理解によって、後に『アンセルムス全集』や『聖ベネディクトの戒律』といった翻訳書が生まれることになる。日本人は、古田暁という中世キリスト教の研究者が現れたことによって、ラテン語から直接日本語へ翻訳されたこれらの名著にふれる機会を得るのである。(3/15)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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