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バチカンでの研究を終えた古田暁は日本へと帰ってきた。昭和42(1967)年のことである。彼は、聖心女子大学、上智大学、慶応義塾大学といった私立大学で講師を務め哲学や宗教学、そして英語を教えた。20年間以上にわたり修道院での生活と研究を続けてきた暁は、この頃、東洋文化に回帰し、日本で生活することを決意する。バチカンとベネディクト修道会から正式な許可をもらい、修道院での生活に別れを告げたのである。そして、結婚し、家庭を持った。
聖職を離れた古田が定職を得たのは、講談社インターナショナルだった。同社は昭和38(1963)年に設立された出版社で、日本の名著を英語で翻訳出版し、世界に紹介してきた。古田暁は昭和43(1968)年9月からの約3年間、専務補佐という役職を得た。昭和46(1971)年には同社から”Journey Beyond Samarkand ”が出版された。井上靖の著書『西域物語』の英訳書である。古田は日本を代表する作家が未開の地であった中央アジアの西トルキスタンの歴史と文化を紐解いた作品を英訳し、欧米に紹介したのである。
昭和46(1971)年9月からは大阪フォルム画廊の顧問となる。この画廊は、東京、名古屋、大阪に拠点を構えるとともに、芸術家の作品売買を仲介するだけでなく、出版事業も手がけた意欲的なギャラリーだ。経営者の松村健は古田の西欧文化への造詣に感銘を受け、アドバイザーとしての職を依頼する。
翌年の昭和47(1972)年、大阪フォルム画廊出版部は古田の翻訳書『書物への愛 フィロビブロン』を出版した。同書は、14世紀にラテン語で書かれ、「愛書家の聖書」と呼ばれた作品だ。15世紀に印刷技術が発明されてからは、聖書に次ぐベストセラーになったと言われる。しかし、日本では翻訳されておらず、松村の勧めもあって、古田がその任を買って出たのである。
その後もこの本は、フランス装丁版(昭和53(1978)年、北洋社)、300部の限定版(昭和60(1985)年、タングラム)、そして文庫版(平成1(1989)年、講談社)として刊行され、合わせて4度にわたり出版されてきた。ラテン語から直接日本語へと翻訳された中世の書物が、時を超えて再評価し続けられていることからも古田の審美眼の高さが伺えるだろう。(4/15)