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研究所での活動を始めた頃の古田暁に会った久米昭元は当時をこう振り返る。
「古田先生は、『若い人の頭のなかを柔軟にするために異文化コミュニケーションを教えなければならない』とお考えになっていました。その人たちが育ち、社会に出れば、社会をよくしていけるはずだと。だから、教育については熱心でした。また、新しいことで世の中にインパクトを与えるために研究所を作られたようです。当時の先生は、『外語大学ではなく、「神田異文化コミュニケーション大学」のような大学にしたいんだ』とおっしゃっていました」
古田は異文化コミュニケーションを広める研究所の啓蒙活動として、出版事業にも力を入れた。大学開学の直前の昭和62(1987)年3月20日、古田が監修した『異文化コミュニケーション 新・国際人への条件』が出版された。出版社は有斐閣。六法全書や判例集、経済辞典などに代表される評価が定まった分野の本を出している固い出版社である。古田は以前、有斐閣から中世の神学や哲学に関する共著書を出版している。その編集者である新井宣淑に、古田は異文化コミュニケーションの学問としての重要性を説いたのである。
昭和62(1987)年4月、神田外語大学が開学した。文部省は、大学名としても、学部学科名としても、外来語の入った「異文化コミュニケーション」という言葉を使うことは認めなかった。佐野隆治と古田暁がともに描いた「神田異文化コミュニケーション大学」の夢は叶わなかった。だが、神田外語大学の異文化コミュニケーション教育、そして異文化コミュニケーション研究所の活動は失速するどころか、ここから本当の「運動」を始めるのである。(9/15)