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50th Anniversary -Interviews-
大学が始まる少し前、「俺は教員でよかったのかなぁ」と思っていた時期がありました。こんな風にしゃべっていていいのかと。すると、高専の教え子に「先生からしゃべるのを取ったら何が残るんですか」と言われた。ハッとしましたよ。「先生みたいなわがままな人がね、呑み屋の親父になったら、すぐに客と喧嘩をして潰れるに決まっている。しゃべるのを取ったら何が残るんだ」ってその教え子は言うわけですよ。その時から、教え子ってのは、「教えた子」じゃなくて、「教えてくれる子」だと思うようになりました。
学生も、職員も、みんな自分の好きな道を歩めばいい。自分の方向性を自分で決めりゃいい。他人に乗せられていちゃしょうがねぇ。「自由」は、「自らに由る」と書く。どんな原因も結果もすべて間違いなく自分にある。気ままにやっていいという意味じゃない。それと、自分が決めたことにはマメじゃなくちゃいけない。息子が大学浪人をしていたとき、三井物産の会長をしていた水上達三さんとゴルフをご一緒することがあった。色紙を持っていって、お言葉をお願いすると、「忍耐」って書いてくださった。水上さんは、渡してくださりながら、「忍耐ですけど、鋭く忍耐です」とおっしゃった。休んでいるんだか、考えているんだか分かんないような忍耐じゃダメなんです。
「僕の気持ちを分かってくれない」と言う奴がいる。そんなの分かるわけない。分かってほしかったら一生懸命伝えろ。話すなり、行動するなりして、根気よく話せ。何も話さないで、「あいつらは理解してくれない」って言ってるだけだったら、これはおしまいです。伝えたいことがあれば、相手のところまで出かけて行って話せばいい。そうしたら、100年ぐらいの人生、困らないで過ごせますよ。(11/11)
池田 弘一(いけだこういち)
昭和4(1929)年、東京に生まれる。早稲田大学教育学部国語国文科卒業した昭和26(1951)年、中学校の教諭になる。神田外語学院の草創期から講師として日本文化を教えてきた。昭和60(1985)年に学校法人佐野学園の理事に就任。昭和62(1987)年に都立工業高等専門学校教授として公立学校の教員を退職。同年、神田外語大学開学にともない助教授に就任。平成12(2000)年に教授として定年退職後、ミレニアムハウス館長に就任。平成13(2001)年より名誉教授。現在もミレニアムハウスで伝統芸能の公演を企画するとともに、敬語講座や書道教室を開き、日本文化の真髄を広く伝えている。
令和5(2023)年5月永眠。享年93歳。