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50th Anniversary -Interviews-
予備校を1年ほどやってから英語学校だけにすることになりました。英語学校になっても、僕の講座を作ってくれたから居座りました。実は、公一先生も、きく枝先生も、外国語を話すには日本文化を学ぶ必要があると考えでおいででした。
なぜ日本文化を学ぶ必要があるのか。いくら外国語を覚えても、自分の中に伝えるべきことがなければ会話なんて成立しません。逆に、外国人が興味を持つ話題を持っていれば、コミュニケーションなんてすぐに生まれる。その最たるものが文化です。僕たちは生まれてからずっと日本文化に接している。でも、日本文化をまったく知らない外国人に説明するのにはきちっと学ばなくちゃいけない。国際人を育てる外語学校だからこそ日本文化を学ぶべき、それが基本方針にあった。
それと、日本人が話す英語は日本人から出てくるものです。公一先生は、「イギリス英語、アメリカ英語があるように、日本人のための『日本英語』というものがあってもいいじゃないか」とおっしゃっていました。「語学教育はサル真似ではいけない。国の社会や文化と密接に結びついているはずだ」と。日本人には日本人なりの英語の捉え方があり、その捉え方を習得するためには、外国語を学ぶことと同じくらい、日本の文化やマナーをしっかりと学ばなければいかんということです。
だから、公一先生、きく枝先生は、国語教員の僕に学院で教えることがあると思われたのでしょう。幼い頃から伝統芸能に親しみ、知識だけではなく、感覚的に日本文化を理解していると評価していただいたように思えます。
授業の名前は『文学と教養』。僕は成績のいいクラスだけを教えていた。それと美人がいたほうがいい。当時は、英文秘書科とスチュワーデス科ですよ。僕が書いた文学史の本をテキストに教えるんだけど、芝居の話をしたり、落語の話をしたりと、まぁ、もちろん教科書通りにはならない。授業が終わると、「今から歌舞伎座に行くと梅幸が『紅葉狩』を踊る時間だけど、誰か行くかい?」って聞く。すると、ゾロゾロと歌舞伎座の立見まで付いて来る子たちがいる。「揚げ饅頭って食ったことある?ないって?じゃあ食いに行こう」と、みんなで連雀町まで行ったこともある。思い立ったら行っちゃうんです。(4/11)