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50th Anniversary -Interviews-
公一先生は厳しくて、怒ると「お前、明日から来なくていい」と怒鳴りつけたこともあったそうだ。きく枝先生は、よく気が付いて、優しい方だった。でも、当時の職員たちは、「公一先生はお顔が怖くて、言葉づかいも怖いときがあるけれど、実は優しい。きく枝先生は優しいけれど、本当は怖い」と言っていましたね。職員に対するけじめについては、きく枝先生のほうが厳しかったのかもしれませんね。
確かに、当時の僕はとにかく働きまくっていましたよ。高専では国語科の教員は上級学年の担任は持てないから、卒業生を送り出すことはできない。それはつまらないけど、その分、時間の融通がきく。こんな時期もありました。まず、鶴見の予備校で朝の9時から1コマ教えて、電車に飛び乗って川崎に行く。川崎の予備校で1コマやるとお昼になる。校舎を飛び出して、横須賀線に乗る。乗る前にサンドイッチをひとつ買う。それを電車の中で食べると、午後1時から始まる神田の授業に間に合う。2コマやると夕方になるので、銭湯に行ってさっぱりしてくる。夜にまた1コマ。1日に10時間ぐらいしゃべりまくる。やってできないことじゃあない。
公一先生は、学期の始めには講師をみんな呼んで、きちんとした料理屋でごちそうをしてくださった。そしていつもこう言うんです。「先生、きっと『来ていてよかった』と思ってもらえる学校にしますから」とね。それに、あれだけ学生が少なかったのに、決して給料が遅配されることはなかったですよ。
公一先生には時々、注意もされました。「先生はいろんなことをよく知っているね」と言われることがある。これが注意なんですよ。褒めているように聞こえるけれど、僕には「無駄が多い」と指摘されたと思える。いろんなことを言い過ぎる。もっと肝心なことを言わなきゃいけないということです。公一先生には、そんな言葉で注意していただきました。
神田という場所に学校を創ったのは、地の利のよさからです。これも公一先生のお考えです。会社が終わってからでも夜学の英語学校に勉強しに来る子たちがいる。そういう子たちが遅刻しないで来られる駅。都電やバスで行くような場所じゃダメだ。やっぱり山手線がいい。国電なら電車賃も安い。公一先生にはそういう心の優しさがあった。(3/11)