神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第9回 池田弘一神田外語大学名誉教授・ミレニアムハウス館長『日本を見つめ、世界の風を感じる』

まぁ、大学で教えるんだから
また助教授からやり直すのもいいじゃない。

僕は高専で教えながら、神田外語学院にはずっと教えに来ていました。非常勤講師だったけど、日比谷公会堂で開かれた入学式の司会をやったこともあります。それに、きく枝先生の発案で、外国人講師の書き初めをやることになったときは指導もした。女性は振り袖、男性は紋付袴です。書き終わるとみんなで神田駅まで行進した。ずいぶんといい宣伝になったと思いますよ。

昭和60(1985)年になり、大学設立の準備も本格的になってきた。事務長だった佐野隆治会長に「池田先生、そろそろうちへ移ってこない?」と言っていただいた。即座に「あ、よろしくお願いします」と言っちゃった。その場で決めて、「理事にしていただきたい」ともお願いしました。

大学の設置申請のときには「助教授で」と担当者に申し出た。僕は高専で10年間、教授でした。公立の高専だから大学でも教授の資格はある。でも、大学設置の申請で僕の役職を教授で出して、万が一引っかかったら大変なこと。だから、「どうぞ助教授で申請していただきたい」と申し出た。まぁ、大学で教えるんだからまた助教授からやり直すのもいいじゃない。設立から4年過ぎれば、大学として完成するわけだから、そこで教授にしてもらえばいい。

幕張のキャンパスの土地は地盤を固めるのに通常の3倍の費用はかけていると聞きました。校舎も3階建て。これには僕も大賛成だった。高い建物から人を見下ろすのはあんまり好きじゃない。隆治会長は凝り性だから、校舎の外壁は滋賀県の信楽(しがらき)まで行って、畳2枚分ぐらいのサンプルで色の感じを見ながら色を決めた。だから建物の外観には統一感があるんです。僕は文字の揮毫(きごう)を任された。大学の正門にある「神田外語大学」の文字や、1号館エントランスに掲げられた「言葉は世界をつなぐ平和の礎」の文字を書かせていただいた。大きな和紙に書いたけど、壁一面になって驚いたねぇ。大学の回りには何にもなかった。教室に行くとヘビやイヌがいるし、遮る建物もないから強風で校舎のガラスが割れたこともありましたよ。

受け持った授業は「芸能史」と「文学」。授業では義太夫のプロを呼んだ。女流義太夫の津賀寿(つがじゅ)も来た。後に芸術祭賞の文部大臣賞を穫った実力派ですよ。太夫も呼んだ。学生たちにもきちんと肩衣(かたぎぬ)を付けさせて、義太夫を学ばせた。僕の授業には、毎回ではないにしろ一流のプロを呼んで、学生たちには本物の日本文化を体験させましたよ。(5/11)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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