神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第9回 池田弘一神田外語大学名誉教授・ミレニアムハウス館長『日本を見つめ、世界の風を感じる』

きく枝先生に怒られたのは一度きりです。
ささいなことへの気配りの大切さを教わりました。

大学が開学して、初めて出来たクラブは茶道部です。当時は川向こうの公民館で活動をしていた。あるとき、佐野きく枝先生が見学に来られた。きく枝先生は「学生たちがあれだけ一生懸命やっているんだから、私100万円を寄付しようと思うの」と言われた。僕は泡を食って「それは止めてください。ひとつの部だけなんかにそんなことをしたらまずいです。後日、学生部長の私から『理事長、クラブ活動の支援をお願いします』と申し入れをしますので、どうぞ今はなさらないでください」となんとか止めてもらいました。きく枝先生は熱心で、思うとすぐに行動に移そうとされる方でした。

佐野公一先生は、昭和53(1978)年の夏に、大学の予定地を視察に来て、その場で倒れられました。ご命日は10月18日です。僕はご命日には静岡県の富士霊園にある公一先生のお墓をお参りしています。大学が開学した年には、佐野きく枝先生と一緒にお参りに行きました。お墓の前で、きく枝先生がお経を唱えてらっしゃって、僕は先生の後ろに立って拝んでいた。すると、涙がどくどく出てきて、そのうち大声を出してわーって泣き出してしまった。自分でも何が何だか分からない。きく枝先生は「お父さんが『池田先生が来てくれた』ってとっても喜んでいる」とおっしゃってくださいました。

お墓参りにご一緒させていただいて、その後すぐに、きく枝先生は具合が悪くなって入院されました。11月になって、浜風祭のパンフレットができたので病院にお届けしました。きく枝先生は、届けられたパンフレットじっくりとご覧になって、「よくできました」と大学に電話をかけようとしたら、電話番号が載っていない。で、怒られました。きく枝先生に怒られたのは、後にも先にもその一度きりです。すぐに大学の事務局の方と謝りに行ったら、「ご苦労さま」というだけで、もう何もおっしゃらない。その時に、ささいなことにも気を配らなきゃいけないってことをきく枝先生から改めて教わりました。

そして、年が明けた昭和63(1988)年1月11日に佐野きく枝先生はお亡くなりになりました。告別式の前に、内輪で集まって、きく枝先生のお別れ会をしました。そのときにきく枝先生の「お別れの言葉」を読み上げた。きく枝先生がみんなに感謝の言葉を残したメモのようなものがあったので、それをちょっとだけ、私が整えた。みんな涙を流しましたよ。(7/11)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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