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50th Anniversary -Interviews-
なにしろ大学が出来た頃はみんな不慣れだった。開学に合わせて集まってきた先生方のなかには、自分の所属してきた大学で教授をしていた人もいるから、「大学というのはこういうものである」という考えを持っていた。一方で、神田外語学院育ちの職員たちは、正直言って大学の運営なんて分からない。他の大学の事務局から転職された方もいたけど、その人たちだって大学の開学に立ち会った経験なんてない。
大学は開学からの4年間で、卒業生を出して初めて完成となる。それまでは教員も変更できない。当時の佐野隆治会長のご苦労は大変なものだった。要するに我慢ですよね。ご自分にはきちんとした考えがあって大学を創った。やりたい方針も決まっている。でも、年配の教授陣を怒らせるわけにはいかない。僕なんか怒らせちゃう口だから。ある先生が「私の誉れある体験に基づくと……」などと言いやがった。だから、僕はその先生のそばへ行って、「先生、恐れ入りますが、先生の誉れある体験を捨てる勇気をお持ちください」って言いました。その先生、真っ赤な顔をしていましたよ。でも、僕は別にその先生に雇われているわけじゃない。部下だとも思っていないから、平気でそんなことも言えた。
僕は何にも貢献なんかしていませんよ。でも、事務局がうまくいくように、ただそれだけを心がけてきました。大学が開学した頃は、職員に威張る教員がいた。年寄りならまだ許せるけど、若いのにずけずけものを言いつける奴がいる。僕は、事務局に何か文句を言ってくる教員がいたら、うなりをあげて、刃向かった。「てめぇ、やるか?」って感じで。長唄だって65年続けていますから声だけは出る。でっかい声出して、タンカが切れますよ。論理的なことはダメよ。論理的なこと言われたら頭がこんがらがっちゃいますね。とにかく、隆治会長もずいぶんと我慢された。そして、あの時代をくぐり抜けた事務局の職員は強いんですよ。
僕は今でも「教員です」とは言うけど、「教育者です」なんてことは言いません。学者でもなきゃ、研究者でもない。教員です。教育機関に勤務して、お給料をいただいている人間。だから知識を伝えるためにしゃべる。100も200も、1000も2000もしゃべるから、ひとつでも、ふたつでも取れるものあったら、持ってけと。50持っていったって、追徴金は取らない。僕から持っていった知識に、また自分なりの考えを付け足してくれればいい。(8/11)