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私が非常勤講師として教え始めた昭和 63(1988)年当時の神田外語学院は、ものすごい勢いがありました。在籍する学生数は 3000 人以上。1 クラス 45 人で教室は学生でいっぱいです。2 限目が終わったらダッシュで教室から飛び出さないと、階段が学生で詰まってしまい昼食の時間が短くなってしまうほどでした。
教育の特徴は外国人教員の授業が数多く受けられることです。公立高校でも外国人教員による英会話の授業が始まっていましたが、訪れるのは月に1回程度です。一方、学院では外国人教員による授業を毎日受けられるのです。
授業では東芝と共同開発した「コンピューター語学システム(Computer Assisted Instruction System)」も導入していました。ひとり 1 台ずつコンピューターを使って、画面に表示される英語の問題に解答していくシステムです。当時では大学も含めて最先端の語学教育機器だったと思います。
昭和 62(1987)年 4 月には千葉の幕張に神田外語大学が開学していました。外国語教育の分野で、専門学校が大学をつくってしまうなんて、あり得ないことでしたから、とても話題になっていましたね。
そして「就職の神田外語」と言われるほど、就職の実績が高かった。専門学校生ですが、英語能力は上位の大学の学生に負けないほど優秀です。毎年、何十人という単位で航空会社の採用試験に合格してCAになりました。英検1級の合格者が何人もいたし、私の担当していたクラスでは日本銀行に就職した学生がふたりいました。
神田外語学院は、私がニューヨーク大学院で学んできた英語教授法の理論や方法論を実践できる場でした。英語教授法は実社会で使える英語を教えるための研究です。使える英語の習得を目的とした語学専門学校こそが英語教授法の知識やスキルを求めていたのです。当時はまだ、大学教員の多くが「英語を話せるようになりたいなら、街の英会話学校にでも行けばいい」と思っていた時代でした。
非常勤講師となった私にグディングス副学院長は、「リーディング&ライティング」の授業を持たせてくれました。本来は、外国人教員しか教えられない授業で、英語で教えることが条件です。 私は高校の教員時代、あまり英語が得意でない生徒が多い学校で教えていました。だから、学院でも学生がどこで間違えるのかが分かった。少しだけ日本語を交えながら丁寧に教えていき、英語が面白く書けるようになるよう指導を心掛けました。学院ではすでに学生が教員を評価するアンケートを実施していましたが、リーディング&ライティングを教える71人の教員のなかで1位を取りました。その結果通知は今でも記念に取ってあります。