神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第26回 長谷川貢神田外語学院元教務センター長 教育の質と成果にこだわる専門学校を目指して

女子生徒の4年制大学進学が急増し、
学院の入学者は最盛期の半数まで減少

専門学校は就職が目的ですから、志願者数は社会や経済の情勢に大きく左右されます。神田外語学院も例外ではありませんでした。

1990年代の後半になると、神田外語学院の入学者数は減少し始めました。その要因のひとつは男女雇用機会均等法です。この法律は昭和61(1986)年に施行されましたが、定められていたのは雇用時の規定のみでした。しかし、平成9(1997)年6月の改正によって、それまで努力義務だった採用や昇進、教育訓練などでの差別が禁止規定となりました。つまり、待遇面でも女性を差別してはいけないと定められたのです。

女性の自立が社会的に保障されたことにより、優秀な女子生徒は4年制大学に進学するようになりました。1990年代の前半までは、女性にとって就職に有利な進路は短期大学や専門学校であり、一部上場企業に就職するには有名短大に進学するのが王道でした。状況は大きく変わり、有名女子短大の多くが学生募集を停止しました。神田外語学院の入学者数も急激に減少し、26クラス(約1100人)あった英会話本科は8クラス(284人)にまで減ったのです。

神田外語学院といえば外国人教員を数多く採用し、国内にいながら外国にいるような環境で英会話を学べることが最大の魅力でした。しかし、学生数が減少すると人件費をはじめとする固定費が学院の経営を圧迫。入学者数が最盛期の半数である700人台まで減少した平成10(1998)年には、希望退職者を募る初めてのリストラを断行しました。社会的には国際化が盛んに叫ばれ、大学では「国際」を称する学部学科が増加していた時期です。英語教授法の修士号を持つ優秀な外国人教員たちが学院を離れ、各地の大学へと移っていきました。

平成15(2003)年4月、フィルソン・リチャード・マイケル学院長に代わって神田外語学院のトップとなった水野五行学院長から依頼され、私は専任講師から佐野学園の職員となりました。役職は、神田外語学院の教育部門を管理運営する教育部門長です。

この時期になると入学者数は回復し始めていて、平成14(2002)年から平成17(2005)年までは1000人以上を維持しました。入学者数増加の理由は経済的な不況です。失業率は5%まで上がり、バブル経済がはじけて株価は大暴落し、平成15(2003)年3月に日経平均株価はバブル崩壊後の最安値を記録。4年制大学の卒業生の就職率は56.9%にまで落ち込み、就職戦線は買い手市場になりました。より良い就職をするために、習得が難しい語学スキルを身につけたいと考える高校生が女性を中心に増えました。大学生の厳しい就職氷河期が神田外語学院の入学者数増加を後押ししたのです。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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