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50th Anniversary -Interviews-
僕の番が回ってきました。テキストを開くと、ニューヨークの地下鉄で自動販売機が壊れて、チョコレートが出て来なくて、販売機を殴るという設定の会話が載っている。ニューヨークで暮らしていた僕は、「よし、これだ」と思いました。
僕は家庭教師や学習塾で英語を教えたことはありましたが、英会話学校での経験はない。だから、僕の前にデモンストレーション・レッスンをやった方々のジェスチャーを自分なりに取り入れながら、動きのある、面白い授業を作っていった。表現はその場で簡単なものに言い換えた。 “This machine is out of order.”であれば、 “This machine does not work.” という具合に。
何を言われるか分からないから、ある意味開き直っていましたね。好き放題やって、ダメならダメでいい。模擬授業が終わると、公一先生には、「君は若いし、元気があっていい。動きもある」と褒めていただきました。そして、採用になりました。
佐野公一先生の感性の鋭さ、直感力にはいつも舌を巻いていました。後になって分かることですが、公一先生は学院のカリキュラムや教授法には一切口を出されていなかった。でも、教員に求める資質は明確なんです。本能的にそれがお分かりになっていた。その人物にオーラがあるか、カリスマ性と華があるかなのです。オーラのある人間は、教室で学生をグイグイと引き込める。それこそが公一先生が教員に求める資質でした。僕も学院長のときは、オーラを持っているかを教員採用の重要な基準にしてきました。
公一先生は、厳しい方でした。外国人教員に対してもお構いなしです。長い髪をボサボサにしている教員がいれば、髪をグイとつかんで、「ちゃんと束ねろ」とおっしゃる。控え室のロッカーが半開きになっていれば、「こういうのは日本じゃ『アホの三寸開き』って言うんだ」とおっしゃった。通訳するのは僕の役目でした。
公一先生ご自身は、英語を話すことはなかった。でも、戦争に負けた日本が、アメリカに追いつき、追い越していくにはやはり外国語の修得だろうと思われていた。日本の将来を担う若者を育てることが、日本社会に対する恩返しであると信じられていたように思います。(4/15)